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2012年1月17日 (火)

今日であれから17年

毎年1月17日になると、阪神大震災のことを、昨日のことのように思い出す。

あの日、出社して直ぐに大震災のニュースを知った。   余りの大きな被害の様子に驚いたが、親戚や知人も心当たりがなかったので、第三者の目で驚いていた。
しかし震災を知った2時間後に、私の管轄する部門が設計して神戸に収めた設備が被害に遭って、救援物資の配送に支障があるので大至急復旧してほしいと客先からの要請が来た。
その設備は、コンピュータ制御で、荷物を配送先ごとに仕分けする機械設備である。

私は直ぐに、機械、電気、コンピュータの担当者のチームを纏めてお昼頃には4人で現地に向かった。  交通網はズタズタで、鉄道やレンタカーを乗り継ぎながら現地に着いたのはその日の真夜中だった。

直ぐに設備の被害状況を確認に入った。 建物の中央には幅50cm深さ数mほどの地割れが縦横に走ってはいたが、幸い納入設備には影響が少ないことが確認できたことは幸いだった。
そして、翌朝直ぐに必要な復旧作業員と必要機材の手配をし、3日間不眠不休で設備を復旧することができた。
思ったより早く設備が使えるように復旧でき客先からはとても喜ばれた。

この3日間、事務所の一部屋を開放し、段ボールを敷いた上に布団を用意してくれたり、おにぎりや、ペットボトルやカップ麺などの食糧を用意をしてくれた客先の協力があったのも嬉しかった。
そして意外なことに一番嬉しかったのは、復旧の目途がついた朝、歯を磨いた時のあの気持ち良さは今でも忘れられない。  歯を磨くということがこんなにも気持ち良いことだったとは・・・

復旧して稼働が始まった後も、私はあと二日様子を見るために残り、確か合計5日間現地にいた記憶がある。  客先からは心から感謝されて、今までの苦労など吹き飛んだ。

帰路は鉄道も車も使えず、リュックを担いで徒歩で大阪までたどり着いた。  帰路の途中歩きながら見た町の様子は惨憺たるものだった。  倒れた高速道路の脇を通ったり、崩壊した高速道路から半分顔を出してかろうじて止まっているバスや崩れた家の数々を見ながら歩いた。
大阪に着いて、大阪支社の計らいでその夜止まったホテルで風呂に入った時は、天国のように感じた。

このことは、私の会社時代の思い出の中でもベスト10に入る、苦しいけれど充実した思い出である。  毎年1月17日には必ず思い出す、懐かしい出来事である。

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コメント

あの日、普通に出勤し仕事をし震災の状況把握は帰宅後でした。電車は余震で止まりながらも動いてた。職場は車通勤の人が大半で通常だった…
事実を知った時はショックでした。従妹家族は?友人は?繋がらない電話に苛立ったり悲しんだり…幸いにも友人、親戚は何とか無事。
だけどあの日は忘れない…

現役で被災地に5日間も居て、不自由な状況での復旧は凄いですね。だけど被災地と大阪のギャップを感じませんでしたか?友人や親せきから聞く状況と大阪の普通の暮らしに違和感を感じてましたが…日常が覆いかぶさる現実が不思議でした。それは昨年の3.11の時にも…気分は落ち込んだけど、本当の苦労は実際に被災した方たちしか解らないんですよね。ただ早い復旧、復興がされますように…

投稿: 夢眠 | 2012年1月17日 (火) 23時07分

夢眠 さんへ **********

大阪は場所によってはかなりの被害だったとは言え
夢眠さんは普通に出勤できる状態だったんですね。
確かにレンタカーで大阪から神戸に近づくに従って
家の倒壊が格段にひどくなっていったのを覚えています。
電話が繋がらなかったことも不安を深めましたね。
夜には交通規制も始まって関係車両以外は通れないところを
理由を説明ししながら通過するのも一苦労でした。

3.11以降も、さらに大きな地震が予測されています。
心して今のうちから対応を考えていたいと思います。

投稿: スロー人 | 2012年1月18日 (水) 09時40分

あれから、17年経つんですね。昨日のTVでも当時の様子が映し出されましたが、昨年の東日本大震災と共に忘れられない出来事ですね。

特に、スロー人さんはお仕事で、直後の再建にも携わったということで、毎年、当時を思い出されることでしょう!!

普通に生活できることが、どんなに幸せな事かが改めて感じられます。

投稿: よびばあ | 2012年1月18日 (水) 15時42分

よびばあさんへ **********

17年の月日の経過は遠い昔のようですが、私には
あの日のことは昨日のことのように鮮明に思い出されます。
たった数日のことですが、悲惨な災害の状況を横目に
設備の復旧に不眠不休で食べることも忘れて必死に
過ごした日々の経験はよい思い出でもあります。
何よりも救援物資を届ける設備の復旧が出来たことは
裏方としてお役に立てた満足感でいっぱいでした。

3.11の大震災の後も、大地震が想定されているようです。
事前の心の準備をしておきたいと思います。

投稿: スロー人 | 2012年1月18日 (水) 21時43分

私は 主人の引越し荷物を作りに廣島にいた。その日大阪枚方の家に子供だけ置いていたからこれから帰ることを告げた所家の食器が割れたと聞きテレビで画像を見て唖然としたのです。 結局日本海周りでやっと帰ったのは土曜日です。3・11の画像を見ながらあの時よりショックは大きかったのが 思い出されます。なんとか 神戸のようにゆっくりでいいから元気になってほしいです。

投稿:  一枝 | 2012年1月21日 (土) 19時08分

 一枝さんへ **********

一枝さんも阪神大震災の被害に遭われたんですね。
広島から大阪まで帰るのに何時間も要したんでしょうね。
でも家にいた子供さんたちに直接の被害がなかったようで
良かったです。
1.17のこの日になるとどうしてもあの日のことが
思い出されます。
東日本大震災に遭われた人たちも神戸の様に早く復興して
欲しいですね。

投稿: スロー人 | 2012年1月21日 (土) 20時55分

 そうなんです、早いものでアレから17年も経ちました。
 スロ人さんも強烈な体験をされ年でしたネ。

 当方も、丁度アノ頃は現役でしたので、昨日の事の様に覚えています。
特に、アノ年は決して忘れる事が出来ない程の色んな出来事が有りました。
 最初は1月新年草々に会社の同僚が事故で入院して半年も休み仕事の処理に苦労した事や、又阪神大震災では神戸の下請けや仕入先が潰れ製品が入らず大損害がでました、又地下鉄サリン事件では通勤の地下鉄銀座線が遣られ(自分は約30分前で直接には遭わずでしたが)恐怖を覚えた事。

 今にしても、不思議な年でしたのでね。 

震災は何時でも、何処でも、誰でも遭遇するとの覚悟が必要でしょうネ。

投稿: 久米仙人 | 2012年1月22日 (日) 21時54分

久米仙人さんへ **********

地下鉄サリン事件は阪神大震災と同じ年だったんですね。
大きな出来事だったのに同じ年だったとは、忘れていました。
それに 久米仙人さんは地下鉄サリンにすんでのところで
被害に遭われるところだったとは・・恐怖でしたね。
あの事件のときは、被害が出た築地駅の川向こうの
佃島が勤務地だったので私も他人事とは思えませんでした。

17年も経つと思い出として話せますが、我々は大変な
恐ろしいことをすり抜けて生きてきたことを感じます。

投稿: スロー人 | 2012年1月23日 (月) 16時10分

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