2025年1月17日 (金)

阪神淡路大震災・・あれから30年

阪神淡路大震災から30年・・今日は当時の悲惨さを思い出す報道がたくさん流れている。
私も深く関わったこの震災を、昨日のことのように思い出している。

30年前のあの日、会社に出勤して初めて大震災の報道を知った。 TVは大変な被害を報じていた。

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間もなくして、私の部門で設計して某スーパーに納入した神戸・芦屋の配送設備が停止していて、救援物資が配送できないとの連絡があった。
客先から「被災者に救援物資を支援するため、至急復旧してほしい」と要請があった。

この設備は、コンピユーター制御でレール上を走る台車に次々に届く物資を載せ、センター内を走り回って、配送先に仕分ける当時は最先端の自動仕分け設備機械である。

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復旧は本来なら設備保守部門が担当するが、被害のでた多くの納入設備から復旧要請があって、担当者が足りないため設計部門にお鉢が回ってきた。
私は早速、機械・電気・コンピュータ制御などの担当者数名をを伴って、昼過ぎに東京から現地に向かった。

現地には入るのさえも大変だった。 途中で止まった新幹線を列車に乗り継いで、大阪まで行き、大阪からはレンタカーで向かったが、道が遮断されていたり、検問所があったりした。 事情を話して通してもらい、やっと現地に到着したのは真夜中だった。

到着後すぐにセンター内に入ったら、30cm幅/2m深さの亀裂が縦横に走っていて、被害の重大さに驚いた。
早速納入した設備機器のチェックをしたが、幸い納入した設備は地面の亀裂をかろうじて免れていて、大きな影響がないようだった。
設備の損傷機器を調べ、復旧に必要な部品と作業員を本社に手配した。 その後は不眠不休で翌日も、点検や修理に費やした。

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手配した部品と作業員が現地に到着したのは、その翌日だった。
復旧作業は夜までかかったが、一日で終えることが出来た。 関わった皆の努力のお陰だった。

客先は、寝る場所として会議室一つを空けて、そこに段ボールを敷き詰めてくれた。 布団や、飲み物は、配送センターに届いているものを集めてくれた。 食事は従業員のご家族がおにぎりやサンドゥイッチを差し入れてくれた。 客先の暖かい配慮は本当に有難かった。

復旧完了後は客先に立ち会っていただいて、恐る恐る試運転をした。 正常に稼働が可能なのを確認して、3日目には本格的に稼働することが出来た。

元々この設備は故障が多く、客先の評価は最悪だったが、この度の迅速な対応と復旧に、対策に詰めていた客先の役員からは驚きと感謝と労いの言葉を頂いた。
私は一人、稼働状況の最後の確認のために、翌日まで残った。

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帰路は電車も止まっていて車も通行できず、歩いて大阪まで帰るしかなかった。 荷物はザックに詰めて背負って、倒壊した高速道路沿いを大阪まで歩いた。
倒れた家屋や、倒れた高速道路に半分顔を出しているバスや、つぶされた車など、来るときは真っ暗で見えなかった景色に、改めて震災の重大さを思った。

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大阪にたどり着いて、大阪支社が手配してくれたホテルで、歯を磨きシャワーを浴びた時の気持ち良さは今でも思い出す。
私の会社生活の中でも、トップクラスの思い出の多い大仕事だった。
そして、震災の復旧に少しでもお役に立てたことは本当に良かったと思う。

< 掲載した写真は、当時私が撮影したものである >

 

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2025年1月16日 (木)

前立腺ガン/放射線治療のその後

5ヶ月前の昨年夏、前立腺がんと診断された。 その後、いろいろな検査を経て、約1ヶ月前の昨年暮れに「放射線治療」を受けた。

昨日、放射線治療後初めての検査と担当医の診察を受けた。

血液検査の結果、上限値=4といわれる「PSA」の値は、治療前の「4.45」から「0.04」に下がっていた。 値が1/100と極端に減っていて驚いた。
放射線治療を受けた効果と素直に喜びたい。

検査結果を見て、医師の診断は「7月に再度検査しましょう」とのことで検査/診察を予約した。
検査・検査で経過観察の病院通いを覚悟していたので拍子抜けして、今後の監察計画を相談するのを忘れてしまった。

が、、7月に再検査ということは、「半年毎にPSA値を確認して経過を観察する」と言うことだと理解した。
今月末に、放射線医師の診察があるので、いろいろ聞いてみたいと思っている。

 

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2025年1月 1日 (水)

謹賀新年

新年明けましておめでとうございます。
皆様には、素晴らしい晴天の下で、新年をお迎えのことと思います。

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昨年、私は前立腺がんや糖尿病などの病気が見つかった以外は、俳句会の句集と美術クラブの二つの記念誌の発刊に携わったり、四つの展覧会に油絵や陶芸作品を応募・出品した他、家庭菜園では楽しく野菜を育てたりして、総じて楽しく充実した一年を過ごすことが出来ました。

今年は、病気と上手く付き合いながら、過ごしていくことになり、病院通いの仕事が一つ増えました。
齢八十一となり、体力と知力の衰えをひしひしと実感しています。
うっかりミスや物忘れも多くなりました。
特に体力の衰えは、ゴルフの飛距離が極端に短くなって、歳を実感しています。

今年は歳相応に、絵、陶芸、野菜つくり、俳句やバラ栽培、ゴルフ、DIYなど、のんびりゆっくり楽しんで参りたいと思います。
皆様には昨年同様、今年もご支援ご指導を賜りたく、よろしくお願い致します。

皆様とご家族の皆様の今年のご健康とご多幸をお祈り致します。

 

 

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2024年12月31日 (火)

家族揃って賑やかに年越し

いよいよ今年最後の日となった。

我が家では、同じ市内に住む娘一家・息子一家と、独り身の娘婿のお母さんの合計11人が集まって、賑やかに大晦日~新年を迎える。

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この集まりは毎年の恒例となっていて、手巻き寿司の他、妻の手料理での家族が揃う大晦日食事会である。
昨年までは早朝2時起きで市内の魚市場で寿司ネタを仕入れるのが私の役目だったが、歳を考えて子供たちのアドバイスで今年は初めてスーパーで購入した。

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大人はお酒、ビール、ワイン、焼酎、紹興酒など、孫たちはジュースで乾杯から始まった。 賑やかに食事をしながら、夫々今年の反省や、新年の抱負など、話題も賑やかだった。
今年は私は前立腺がんが見つかり、あまり良い年ではなかったが、娘の次女が希望大学への入学が決まって、良いニュースもあった。 総じて我が一家は無事に過ごすことが出来た一年だった。

食事でお腹が満たされた後は、ビンゴゲームが始まった。 商品は各々の家族で適当に持ち寄ってあった。 お目当ての商品を獲得しようと、皆大騒ぎだった。

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除夜の鐘が鳴る頃になって、年越しそばを食べて、新年を迎える。

元旦は、お雑煮を食べて、各家族夫々三々五々解散となる。

新年も、我が家にとって、健康で楽しいことの多い年にしたいと思う。

 

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2024年12月25日 (水)

Merry X'mas

今年は、夫婦二人で静かにワインでクリスマスを祝った。

毎年12月になると、居間の出窓にクリスマス・ツリーを飾っている。

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夜はイルミネーションが点灯されて、道行く人たちにも目で楽しんでもらっている。

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居間には妻が育てた大きなポインセチアが赤い葉となって、師走の雰囲気を醸してくれている。

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まだ大掃除は完全には終わっていない。
残り少なくなった今年、いよいよ気忙しくなった。

 

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2024年12月21日 (土)

前立腺がん 放射線治療終了

前立腺がんの放射線治療を受けていて、昨日が最終回だった。 一日おきに合計5回受ける「サイバーナイフ」という放射線治療である。

サイバーナイフ治療は、画像解析技術とロボット技術を応用した治療である。
治療の一週間ほど前にCTで撮影した画像と重ねて病巣をとらえ、ロボットによりいろいろな角度から、的確に病巣に放射線を照射するもので、位置誤差は1㎜以内とのことである。

治療室でベッドに仰臥すると馬のようなロボットが近づいてきて、頭の部分が患部を撫でるように動いて放射線を照射する。 治療は約30分程度だが、動くと位置がずれるので姿勢位置保持を要する。 痛くも痒くもない治療である。

ただ副作用の「排尿困難感」があり、そのために頻尿となり排尿はチョロチョロである。 完全に尿閉したら救急車で来るように・・と言われている。 結構辛い副作用で、特に夜の就寝中の頻尿は辛い。
この感じは1~2週間すれば元に戻るとのことなので我慢するしかない。

取り敢えず、年内に一通りの治療が終わってホッとしている。
今後は来月1月初めに担当医師に治療計画を聞くが、放射線治療の効果確認と検査などによる経過観察になると思う。

 

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2024年12月11日 (水)

前立腺がん 放射線治療始まる

今日から前立腺がんの放射線治療が始まった。

「サイバーナイフ治療」という画像解析技術とロボット技術を応用した放射線治療である。 放射線治療に先立って、先週MRIとCTによって、患部位置と照射位置、治療姿勢などを確認してあった。

治療室には治療を受けるベッドと、馬のような大きさと形のロボットがあった。
一週間前に確認してあったのと同じ姿勢でベッドに仰臥した。 大きな馬の形のロボットの頭の部分が患部の周りを舐めるように動き、止まって照射し、動いて位置を変えてまた照射する。
医師や照射技師は室外で監視していて治療室は患者のみである。

前から後ろから、右側から左側から、上下前後斜めから、くまなく動いて30分ほどで一回目の治療が終わった。

治療は痛くも痒くもないが、体を動かすと位置がずれるので全く同じ姿勢を保たなければならないのが辛いと言えば辛かった。

治療は計5回、一日おきに受けるので、来週いっぱいで終わる。
こんなに簡単な治療で、ガンが治るのか・・とも思うが、取り敢えず近代の治療技術を信じて、追跡監視を含めた治療を続けたいと思う。

 

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2024年11月26日 (火)

百匁柿

中学時代の故郷の同級生の女性と久しぶりに電話で話をした。
彼女は自分で”干し芋”や”干し柿”や”漬物”をたくさん作って、友達に配る奇特な友人である。

私が干し柿を好きなのを知っている彼女は、たくさんの柿を注文しているので、届いたら送ってあげると言う。
遠慮して辞退したが、今日段ボール箱に入れた”百匁柿”が届いた。 一個で300g以上ある大きな柿で30個ほど詰まっていた。 沢山の”干し芋”も同封されていた。

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早速妻と二人で皮をむいて、紐に結わえて、熱湯消毒をしたあと、ベランダにぶら下げて干した。

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干し具合をみながら時々揉んで、20日~1ヵ月ほど干す。 その後、白い粉を吹く処置をして完成する。

子供の頃、夜炬燵に入って家族で自家製の干し柿を食べながら楽しく団欒した。
私が干し柿を好きなのは、そんな子供の頃の懐かしい思い出があるからだろうか。

 

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2024年11月 9日 (土)

前立腺がん 放射線治療の準備  入院/手術

8月に「前立腺がん」との診断を受けて、9月に対策として「放射線治療」を受けることを決めていた。
昨日は放射線治療を受ける準備のため、手術を受け、一晩入院して今日退院した。

準備のための手術とは、次の二つである。

①「金マーカー留置手術」
放射線治療の目印となる金(ゴールド)を前立腺に留置するもの

②「スペースOAR注入手術」
前立腺と隣接する直腸との間にスペースOAR(ゲル状物質)を注入して、直腸などへの放射線量を減らして、直腸炎、膀胱炎などの合併症を抑えるもの。 

金マーカーはずっと体内に残り、注入したOAR(ゲル)は3ヶ月ほどで自然に吸収されて体内からなくなるそうだ。

手術は、腰椎麻酔で下半身の局所麻酔を受けて行った。
手術は約30分で終わる簡単な手術だったが、二日間一晩の入院だった。

簡単とはいえ手術なので、いろいろと準備もあり、手術結果も心配だったが、無事に終わり帰宅出来てホッとした。
今後は、治療を前にいくつかの検査・試験を受け、12月にいよいよ「放射線治療」を受けることになっている。

 

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2024年9月25日 (水)

前立腺がん治療方針

PSA検査の結果をみて、MRI検査と生検を受け「前立腺がん」と診断されていた。

その後、転移しているかをみる”骨シンチ検査”や”造影剤でCT検査”を受けた。
今日、その結果の報告を受けたが、幸い転移や広がりは認められないとの診断だった。

そこで今後の治療について医師と話し合った。
治療には①手術しての全摘除去、②放射線療法、③ホルモン療法があるとのことだった。

①の全摘手術は80歳以上の人には勧められないとのことだった。(前立腺がんの進行は遅いので、余命の少ない人には勧めないのだと思う) また、リスクとして尿道括約筋の損傷の恐れがあり、そのため術後は尿漏れとなるようだ。

②の放射線療法は、5回/5日の放射線を受け一日おき程度に治療を受ける。

③のホルモン療法は、男性ホルモンの働きを妨げて”ガンの増殖を抑制する”もので、注射と投薬(2週間)を行う。

医師と話し合った結果、今回は②と③の治療を受けることにした。

②の放射線治療に当たっては、前立腺に近接する直腸への放射線被ばくを少なくするために、その間に遮蔽剤を入れる手術を2日間入院して行う。
入院は11月初めに決まった。 その後に放射線治療となる。

③のホルモン療法は、早速今日注射を受けた。また抗アンドロゲン剤を1回/日で14日間服用する。

今年いっぱいは、これら前立腺がん治療のために、かなりの頻度で病院へ通うことになる。

 

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